歴史は積み重なる

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シドニー観光の中心地サーキュラーキーからフェリーで僅か20分のところにその島はある。

コッカトゥー島(Cockatoo Island)、かつての囚人収容施設だ。

オーストラリアという国はその起こりからして特殊だ。
ジェームズ・クックがオーストラリアに辿り着いたのが1770年4月20日。クックはこの土地をイギリス国王ジョージ三世の名のもとに領有することを宣言しオーストラリア東海岸はニュー・サウス・ウェールズとなった。その後1776年にイギリスの植民地からアメリカが独立を勝ち取ったことでオーストラリアの歴史は大きく動き出すことになる。

当時のイギリスではエンクロージャー、囲い込みにより多くの農民が職を失った。そして新たな職を求め都市部に出てきていた。当然都市部の人口は過密状態になり、犯罪が増加した。

それに対処するためイギリス政府は刑を強化することで犯罪の抑止を目論んだ。しかし事態はそう簡単に改善しなかった。ある12歳の少年は腕時計を盗んだ罪で植民地に7年間の流刑を言い渡されたという。腕時計を盗んだだけで。それだけ刑を重くしてもイギリスの犯罪は止まることを知らなかった。

アメリカはイギリスにとってちょうどいい流刑地であった。本国からさほど離れておらず、耕しても耕しきれない広大な土地を持っていた。しかし、そのアメリカは今やイギリスの手を離れてしまった。国内で増加する犯罪、そしてその犯罪者を送る流刑地の喪失。イギリス政府はアメリカの後釜にオーストラリアを据えることを決めた。

そう、近代国家オーストラリアはその始め、犯罪者の流刑地だったのだ。

オーストラリアの歴史を語るうえで切っても切れない関係にある囚人収容施設は2010年ユネスコの世界文化遺産に登録された。「オーストラリアの囚人収容遺跡群(Australian Convict Site)」と名付けられたその遺産は11の構成資産からなる。

前段が長くなってしまったがここコッカトゥー島もその構成資産の一つである。

もともと囚人収容施設としてその歴史を歩み始めたコッカトゥー島は1990年代にそれまでの大きな役割を終えるまでに幾度となく役割を変えている。ある時は学校として、またある時は造船所として。造船所としての役割は20世紀の終わりごろまで続き、今では過去の歴史を示す博物館としての役割を果たしている。

現在コッカトゥー島に残されている施設に囚人収容施設時の面影を感じられるものは少なく、造船所として使われていた時代の遺産が多い。そのため形こそ大きく異なるものの、同じ産業遺産として長崎の軍艦島こと端島に似た印象を受けた。

オーストラリアの囚人収容施設として忘れてはならないのがシドニーの中心部にあるハイドバークバラックスだ。

ハイドバークバラックスの歴史はそのままオーストラリアの歴史と言っても過言ではない。
オーストラリアがイギリスの流刑植民地としてその役割を始めたまさにその最初期から現在に至るまで囚人収容施設だけでない数多の役割を果たしてきた。

囚人収容施設として産声を上げ、ある時は女性移民を助ける施設として、ある時は裁判所として、現在博物館として歴史の証人の役割を担うまでその他にも多くの役割を担ってきた。

ハイドパークバラックスはその役割を変えるごとに増改築が繰り返され、その度に過去の歴史が封じ込められていった。博物館として使われるにあたって科学的な調査が行われ、発掘調査の中で歴史が積み重なっていることが改めて明らかになった。

その調査には考古学のアプローチが取られ、発掘された様々な歴史の証人が今も分析されている。

至極当たり前のことであるが歴史は過去の積み重ねである。一つの時代、一つの断面だけでは判断しえない。ここを訪れることでそんなことを改めて感じることが出来た。

オーストラリアの歴史を知るということ以上の価値がこの遺産にはある。

Sydney, Australia