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旅のきっかけ―今から3年前を振り返る

コイーバシグロⅣ エッセイ
この記事は約9分で読めます。
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今日は僕の旅のきっかけについて語ります!そこそこ有名で給料も良かった企業を辞めてまでどうして旅に出てしまったのか。初心に帰ってその心を語ります。

どうも!三矢(@hideto328)です。

今度新たに某ウェブメディアで連載させてもらうことになりました!それで連載第1回ということで自己紹介中心の文章を書いていたんですね。 その中で担当編集者から、「長期旅行に出る決心を固めたきっかけ」はみんなが気になるところだから書いてほしい、って言われてふと、その当時のことを思い出していたんです。(その連載については公開されたらまた報告しますね!)

ということで、今日は僕の旅のきっかけについて語ることにしました。

会社を辞めると告知してから丁度3年が経ちました

DSC_0261

旅のきっかけを思い出していたらふと、フェイスブックで「会社辞めます」って投稿したのがちょうど今から3年前だということに気が付いたんです(同じ日の同じ時刻に予約投稿したので本当に今から3年前の出来事なのです)。

自分で言うのもなんだけど、この投稿は当時でかなり反響があって、自分とリアルの知り合いじゃない人から何人も友達申請が来るくらいだったんです(僕は基本的にフェイスブックはリアルの知り合いとしか繋がらないようにしているので大半の方は丁重にお断りさせていただきましたが)。

もともと、フェイスブックとかツイッターはフロー型でどんどん流れて行ってしまって振り返り辛い特徴があるので、勿体ないなーと思っていました。

今回、ブログにこれまで以上に力を入れていくことにしたこのタイミングと、旅のきっかけを思い出すタイミングと、退職の報告をしたタイミングがほとんど一緒重なったので、僕のブログに再掲することにしたのです。

次のパラグラフから始まります。改行を入れたり、誤字脱字を直したりと、見やすくなるように多少修正しましたが本文自体はあえて一切手を入れませんでした(ほんとうは顔から火が出るくらい恥ずかしいので修正したい)。

会社を辞めて長期旅行に出ること

コイーバシグロⅣ

突然ですが6月末をもちまして4年3ヶ月お世話になった会社を退職することになりました。

書きたいこと、伝えたいことが多すぎて全然内容がまとまっていませんし、伝えたいことの半分も伝わらないかもしれませんが読んでいただければ幸いです。

ある人には真剣に、またある人には冗談ぽく話してましたが俺はやっぱり世界一周したい。それは定年退職してから、みたいな悠長な事をいってるんじゃなくて可能であるなら明日にでも旅立ちたい。高校生の時からの10年来の夢です。

よく辞めてどうするんだとか、なんか目的があるのか、とか色々聞かれましたけど、そんなものはありません。

ただ、行って、見て、食べて、飲んで、感じたい。それだけ。

大学4年の秋、早稲田祭にノンフィクション作家の沢木耕太郎さんの講演を聴きに行った時沢木さんは自身がモロッコに行った時に出会ったドイツの刑事を引き合いに出してこんな話をされました。少し長いけれど、『旅する力―深夜特急ノート 』より引用したいと思います。

沢木さんがご自身の『深夜特急』の旅の話をしたのを受けて、そのドイツ人刑事が深いため息をついたところからです。

すると、保険会社の女性が、彼の深い溜め息の、その深い思いを引き取ろうとでもするかのように、いたわる口調で言った。
「あなたも、本当はそういう旅をしたかったのよね。でも二十代のときにはできなかったのよね」
二十代のときの彼は、どうしてもインドに行きたいと思っていたが、やはりまず働かなくてはならず、私のようにふらふらと旅に出ることはできなかったというのだ。
そのとき、私はとても軽い口調で「これからだってできるじゃないですか」と言った。現にこうしてアフリカに渡ってきて旅をしているのだし、ここからさらに足を伸ばして中近東からアジアに行くことも難しいこととは思えなかった。
すると、その刑事はこういったのだ。
“Too late.”
もう遅すぎる、と。そして、その言葉を聞いた私は、そうか、そうかもしれないなと思った。彼は、主として経済的な事情で旅を後まわしにしたが、いまはあるていどの余裕ができてどこにでも旅をすることができるようになった。しかし、その旅はやはり二十代のときにしたかもしれない旅とは違うのだ。彼は彼が望んだ旅の「適齢期」を逃してしまっていたのだ

旅する力―深夜特急ノート

20代の旅は20代でしかできない。同じ様に50代の旅は50代にしかできない。50歳になって20代の旅をしたいと思っても遅い。この話がすごく印象的でずっと頭から離れませんでした。

海外への飽くなき思いを胸に入社した今の会社では最初名古屋駅前支店に配属されました。小さいとはいえ国際空港のある名古屋で長期(といっても9連休が関の山だが)休暇の旅に海外旅行に行っていました。

最初はそれで満足でした。いや、それ以外の選択肢を知らなかったか、見てみぬ振りをしていただけだったのかも知れません。

そんな中名古屋で出来た友達に教えてもらい旅好きな方のオフ会に参加させていただきました。いろんな面白い話を聞かせてもらい、名古屋にめちゃくちゃ多くの同じ趣味を持った友人ができました。

そのなかでひと際印象深かったのが年齢が一つ上の銀行マンの話。

「40年も待ってたら世界は全く違うものになってしまう。だから今行かなきゃ。」

細かいニュアンスは違うけど、言いたいことはこんなところだったと思う。因みにその人は今年の12月奥様と世界一周に旅立つ。

俺はどうなんだ?

この時まで一生懸命働いてお金貯めて早期退職して行けたらいいな、位に思っていた。でもこの話と、沢木さんの話といろいろな思いが俺の中に生まれた。この話をしたのが今から約3年前。

行くのか?行かないのか?

行って後で後悔しないか?あの時会社を辞めなければ、と。

行かないで後で後悔しないか?もう遅すぎる、と。

とりあえず行くか行かないかは置いといてお金を貯めることにしました。いざ行こうと思ったときにいつでも行けるように。それでこの度目標にしていた金額が貯まった。

奇しくも先程引用した沢木さんがユーラシア大陸横断の旅に出たのと同じ26歳。『何でも見てやろう』の小田実さんが旅に出たのと同じ26歳。

ちょっとアホらしい話だけど旅人の中ではこの26歳と言うのをすごく意識するところがある。沢木さんが『深夜特急』の文庫版巻末の対談や『旅する力―深夜特急ノート 』の中で26歳旅適齢期説を展開しているから。

それは社会を全く知らなすぎるわけでもなく、かといって多くのことを知りすぎて凝り固まってる訳でもない、そのくらいの年齢が世界を旅する中で遭遇する多くのことをうまく理解し、咀嚼し、自分の糧にできるちょうどいい塩梅なんじゃないかと言うこと。

それでここ数ヵ月は本当に悩んでました。Twitterでかなり鬱なことを呟いてたのでいろんな人に心配もされました。いろんな意味でもったいないと思うし海外放浪するために会社辞めるなんてアホだと思う。

日本では一度本流から外れたら戻りづらい現実がある。下世話な話だけど今より給料が高い企業に就職できることはまずないだろう。

でも最終的には、例えそうであったとしても、行かなきゃ俺は先へ進めない。そう思った。

会社に辞意を告げるのは自分が思っていた以上に遥かに苦痛を伴いました。

仕事をしているなかで辛いとか、嫌だとか思ったこと以上にお世話になったいろいろな人のことがまず思い出され、これまで受けたさまざまな恩を返すことなく会社を辞めていくことに罪悪感も感じました。

それでもやっぱり、行かなきゃ前に進めない。

罪と罰 』のラスコーリニコフが老婆を殺したのは多くの偶然が重なったからじゃない。確かに多くの偶然は重なった。でもそれすらも必然だったんじゃないかと俺は思う。

俺の今回の旅も一つでも欠けていたら踏み出せなかっただろう。

高校の世界史の担当が小嶋先生、山田先生じゃなかったら海外にこんなに興味を持つことはなかっただろう。

大学で庭球部に入部していなかったら、大学時代に旅して満足していたかもしれない。

配属が名古屋じゃなかったらあんなに多くの旅人と知り合ったり、多様な考えに触れることもなかったろう。

そして異動していなかったら、俺は名古屋の尊敬する上司に辞意を伝えることが出来なかったかもしれない。

どのピースが欠けてもこの機会に巡り合う事はなかった。

俺はずっと旅をしたいと思っていたし、遂に念願かなって旅に、それも期限のない旅に出られることを嬉しく思う。

これが旅に“呼ばれる”ってことなんだろう。俺は今、確実に“呼ばれて”います。

後は身を委ねるのみ。

長くなりましたが、僕の短い一先ずの会社人生の中でお世話になった多くの先輩・同期・後輩には大変感謝しています。会社を退職しても変わらぬお付き合いをさせていただければ幸いに存じます。

なお、いろいろありまして出国の日付は決まっていません。秋くらいに行けたら行きたいのですが…。それまでは神奈川におりますので何かの機会にお声掛けいただければ幸いです。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

取り急ぎご報告まで。

※写真は送別に頂いたCOHIBA SIGLOⅥ。大切に楽しませていただきます。齋藤先輩ありがとうございました。

それから3年の月日が経って思うこと

DSC_3399

いやーアツいね。若いね笑

とりあえず3年経ってまだ旅の途上にある僕からしたらあの時会社を辞める、という選択肢を選んだことは間違っていなかったと思っています。日本に帰って現実に直面したらまた考えが変わるのかもしれませんが…。

ひとまず、僕の旅は”Too late”になることはなかったし、世界をいろいろ見てみた結果、日本に帰ってからのことはなんとでもなると思ってます。日本という国は好きだけど、日本社会はどうしても生き辛いからね。最悪国外逃亡でもします。海外ならまだ日本人ってだけで需要のある国もあるらしいしさ。

そうでなくても海外で働きたいって気持ちは前から持ってるし、間に合えばワーホリでドイツあたり行ってみるのも面白いかもしれないと考えてます、最近(俺はビールが醸造したいんじゃ)。

ということで、会社を辞めることにして3年、日本を出国してからでももう2年半も経ってしまっているのですが、僕の人生の夏休みはまだまだkeep going onなのです

日本を出会った人も結構な人数になってきたし、たまにはきっかけを振り返ってみるのもいいですね。初心を忘れずに「行って、見て、食べて、飲んで、感じ」てきます。

以上、三矢(@hideto328)でした。それでは!

本文で言及した書籍はコチラ

沢木耕太郎『旅する力』

本文で長く引用した文章が掲載されている本。この「旅の適齢期」という話はこの本の中でもかなり印象に残っています。賛否は分かれる本ですが『深夜特急』の背景が見えるので個人的にはかなり好きです。早急なkindle版求む!

沢木耕太郎『深夜特急』

僕が旅に目覚めたきっかけともいえるバイブル。文庫で全巻揃っているのにKindle版を全巻買い直し何度も何度も読み返している本。

旅に興味があってもなくても未読であればぜひ!

小田実『何でも見てやろう』

沢木さんが中学生時代に読んで影響を受けた本。

夕陽が眼にしみる―象が空を〈1〉』の257頁でも「思い出の本」として、

たとえば、あの頃もし志賀直哉の『真鶴』を読んでいなかったら果たして私は二十年後に『一瞬の夏』を書いていただろうか、といったようなことがどの作品に関しても存在するのだ。もし『何でも見てやろう』を読んでいなかったら………。もし『』を読んでいなかったら……、という具合に。

と言及されている。

エッセイ
三矢英人

バックパッカー/トラベルライター/チェコ親善アンバサダー2018/米国公認会計士(USCPA-Inactive)

1986年神奈川県生まれ。「行きたいところに行き、見たいものを見て、食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲む」をモットーに2013年11月から2019年4月まで無帰国長期旅行していました。

≫詳しい自己紹介はこちら

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